ハマのドン試写会の盛況
ときの首相にのぼりつめた菅義偉の「生みの親」は誰か? そう問えば、「地元横浜出身の自民党代議士、小此木彦三郎」という答えが返ってくるに違いない。秋田から東京に上がって法政大学を卒業した菅は、中曽根康弘の大番頭だった小此木の秘書となる。そこから横浜市会議員、国会議員へと階段をのぼり、ついに内閣総理大臣にたどりついた。小此木はいわば菅にとって政治の師である。横浜は政界における菅の原点といえる。
1980年代後半、中曽根首相の右腕として旧国鉄の分割民営化に奔走した小此木は、鉄道行政に通じた大物運輸族議員であった。また国会対策の根まわしが得意な国対族議員でもあり、永田町でその名を知られた寝業師だ。たまたま小此木事務所入りした菅は、小此木のカバン持ちからスタートし、政治家としてのあり様を学んだ。小此木の使い走りとして民営化後のJRや私鉄各社の幹部たちと接していく。国会議員に転じたのちは、そのネットワークを駆使して運行政におけるさまざまな利権を裁いてきた。いわば運輸利権が政治家としての力の源となってきたのは間違いない。
では、藤木幸夫は菅にとってどのような存在だったか? といえば、さしずめ「育ての親」といったところだろう。横浜港で「藤木組」の旗を揚げ、沖仲士たちをまとめあげた先代幸太郎のあとを継ぎ、港を中心とする運輸業界に睨みを利かせてきた。文字どおりのハマのドンである。
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公開が楽しみです。
岸田政権「ウクライナ訪問」の深謀
まさか日本のマスコミがWBC(ワールドベースボールクラシック)に気をとられている隙を狙ったわけではあるまいが、実に慌ただしい1日だった。日本チームがWBCの準決勝を戦っているさなか、インド訪問中の岸田文雄首相がウクライナを電撃訪問する、と速報が流れ、世間をあっと言わせた。当人にしたら、「してやったり」だろう。折しも、中国の習近平がロシアのウラジミール・プーチンと〝悪だくみ〟していた渦中だけに、岸田のキーウ電撃訪問はインパクトがあった。
巷間伝えられているように、来る5月の広島サミットにウクライナのゼレンスキーをスペシャルゲストに招きたい岸田は、その前にウクライナを視察したいと漏らしていた。反面、安全保障上の警備問題という高いハードルがある。戦後、日本の首相は戦渦へ赴いたことがない。日本は憲法上、平和維持活動でも自衛隊派遣を憚られる。米国の大統領のように、自国の特殊部隊を動かせるわけもない。かの地で万が一のことがあれば、第三次大戦の引き金となりかねないため、そう簡単にはいかないというのが、もっぱらの見方だった。なによりそこまでリスクを冒す必要があるのか、とも思われた。
だが、結果的に岸田はG7首脳中、最後のウクライナ訪問を果たした。昨今、持ち直し始めた支持率がさらに上向くのは間違いあるまい。それも計算の上でのことに違いない。
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あっぱれ週刊文春「三浦瑠璃の嘘」
彼女は文藝春秋社の読者賞選出顧問であり、文春から何冊も本を出しているので、週刊文春としてもやりにくかったと思います。それでも、日頃、不正を暴いてきた立場だけに、今度の件も看過できなかったのでしょう。さすが文春、あっぱれです。
郷原信郎YouTubeに登場「官邸官僚」と「国商」
総務省文書から始まり、安倍・菅官邸のあり様、岸田政権の課題にいたるめで結構突っ込んで話しました。かなり視聴されています。
この中で一つ訂正があります。内閣人事局の決める霞が関の官僚幹部人事について、うjっかり860人と言っています。けれど、これは部長候補以上の680人の間違いですので、お詫びして訂正いたします。
朝日新聞「耕論」の総務省文書
「放送法文書」を読んで安倍官邸が一枚岩ではなかったと再認識しました。
礒崎陽輔首相補佐官は、菅義偉官房長官に話を通そうとする総務省側に「俺と総理が二人で決める話」と言っていた。礒崎氏に抵抗した総務省出身の山田真貴子首相秘書官は、総務相経験者の菅さんが女性初の首相秘書官に起用したと言われ、菅政権で内閣広報官にもなりました。安倍晋三首相のトップダウンで話を進めたい礒崎氏と、菅さんを後ろ盾に抵抗する総務省という対立が見え隠れします。
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